フットパス衣里・泉ヶ城コース イベント開催!

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2025.06.07
フットパス衣里・泉ヶ城コース イベント開催!

※ フットパスは、【Foot=歩く】【Path=小径】と書き、イギリスが発祥となります。里山や田園地帯が広がる地域の風景を楽しみながら、ゆっくり歩きます。

2025年度2度目のフットパスイベントは5月31日(土)に開催しました。雨予報でしたが、雨にはほとんど降られずに歩くことができました。前九年の役(1051~1062年)の時に焼失したといわれる長者ヶ原廃寺跡をスタートに、衣里・泉ヶ城エリア約6㎞の距離を3時間ほどかけてゆっくり歩きました。

1.長者ヶ原廃寺(ちょうじゃがはらはいじ)跡

出土遺物から10世紀末から11世紀代の寺院と考えられていて、東西110メートル、南北90メートルの規模で方形に築地塀跡が巡っています。

2.接待館(せったいだて)遺跡

接待館遺跡は、東西120メートル、南北65メートル以上にわたって堀と土塁(どるい)で区画された、平泉と同時代の12世紀の遺跡であると判明されています。

かわらけが一括して捨てられたような状況で大量に出土していることから、宴会儀礼あるいは宗教的な儀式が行われていたと考えられています。

3.衣川堤防

衣川堤防の高台側から見ると、遺跡の全容がよくわかります。中尊寺から北に進んで衣川を渡った後の道ではないかという話などがあり、ロマンを感じます。(奥大道(おくだいどう):福島県の白河の関から平泉を経て青森県の陸奥湾までつながる道)

奥州藤原氏の時代には、接待館の西側に七の付く日に七日市場が立ち、平泉のなかでも最も繁盛した市場だったといわれていて、衣川七日市場という地名が残っています。接待館遺跡の東側には、衣川六日市場という地名があり、六の付く日に六日市場が立ったといわれています。

4.泉ヶ城

奥州藤原氏3代藤原秀衡の3男泉三郎忠衡の居宅と伝えられています。忠衡は秀衡の意志を継いで、最後まで忠義を尽くし義経を守ったとされています。一角には戸田平野供養塔があります。

周りに比べると高台にあり、周囲を衣川が囲む天然の要害となっています。

5.並木屋敷跡(伝)・小松館跡(伝)

平安時代に陸奥国の豪族・安部一族の居宅や成長があったところと伝えられている場所です。陸奥国で起きた陸奥国司と安倍氏との間で起きた前九年の役(1051年~1062年)で、安倍氏は滅びました。その後台頭してきたのが奥州藤原氏初代の藤原清衡です。

6.昼食

川西文化伝承館で昼食をいただきました。4月のフットパスイベントに続き、わくわく食堂(平泉町有志の方々)に準備いただき、メニューはたけのこご飯と豚汁と漬け物でした。たけのこご飯は前日から準備いただきました。大変評判が良かったです。

7.講談(青凛会)

青凛会は、奥州に伝わる歴史を講談で語っています。青凛会所属の佐藤もと凛さんに、「川西大念仏剣舞誕生の章」を語っていただきました。

8.川西大念仏剣舞(かわにしだいねんぶつけんばい)

川西大念仏剣舞は、900年前から岩手県奥州市衣川地区に伝わる踊りで、風流踊としてユネスコ無形文化遺産に登録されています。

中尊寺を建立した奥州藤原氏の初代清衡とつながりの深い踊りとして今に伝えられています。伝承では清衡が、前九年・後三年合戦で命を落とした亡霊を成仏させようと祈祷したところ、1匹の猿が現れ、念仏踊りを舞って極楽浄土へと導いたと言われています。

① 押込(おっこみ)<亡霊の中でも一番強い亡霊が、刀を納められても、なお、素手で荒れ狂うという勇壮な踊り> ≪画像をクリックすると動画を見ることができます≫

② 三人怒者(さんにんいかもの)<一度念仏の功力により鎮まったかに見えた亡霊が、再び舞い戻り荒れ狂う様子を表す踊り>  ≪画像をクリックすると動画を見ることができます≫