中尊寺 見学。

自然・歴史 heritage ...
2026.02.28
中尊寺 見学。

坂の上駐車場をスタートし、金色堂~本堂~(月見坂)~坂下に降りるルートで回ります。古都ひらいずみガイドの会のガイドさんに、案内いただきました。(https://hiraizumi-life.jp/archives/224

ほかにも、中尊寺月見坂に入る手前の右側にある中尊寺案内所内でも受け付けています。(https://hiraizumi-life.jp/archives/998

藤原清衡の父経清(つねきよ)は前九年合戦の時、朝廷軍を当初破ったが、朝廷側に出羽国の清原氏が参戦してから負けて殺されました。清衡7才の時でした。その後母親が清原氏に嫁ぎ、連れ子として生き延びましたが、先妻の子・後妻の子家衡と清衡の3人の間で家督争い(後三年合戦)が起き、家衡に妻・子供が殺されました。最終的に弟家衡を倒し、奥州藤原家の相続人となりました。福島の白河から青森の外ヶ浜までの領土で、1万の村に1万のお寺を建て、その中心として中尊寺を建てました。 

・中尊寺ハス

坂上駐車場の横にある中尊寺ハスを見ます。

金色堂に安置されていた奥州藤原氏父子4代の遺体調査が昭和25(1950)年におこなわれました。その折、4代泰衡が納められていた首桶からハスの種子が発見され、種子を数十年かけて八百年かけて開花させたものがここに植えられています。極楽浄土で安らかに眠ってほしいと願いを込め、桶に納められたものではないかとのこと。

  • 讃衛蔵(さんこうぞう)※堂内は写真撮影禁止

讃衛蔵は、中尊寺のお宝が展示されている施設になります。40あった金色堂・お堂が14世紀にあった大火で金色堂一つ残して燃えたが、持ち出すことができた仏像・宝物が展示されています。

平安時代に造られた仏像がいくつかあります。阿弥陀如来像、薬を持っている薬師如来像、そして千手観音像です。千手観音像は、左手・左足の親指が少し上がっていて「さあ行くよ」という格好をしている。32本の手があり、数珠・武器・杖などの道具持っていて困っている人を助ける手や何でも叶えるという意味で何も持っていない開いた手も一つあります。

その他には、お経の教えを書いた文字で塔をかたどっている金字宝塔曼荼羅、金と銀の色で一行ずつ書かれたお経の紺紙金銀字交書一切経、金箔が貼られた清衡公が納められていた棺や泰衡公の首が納められていた桶等も展示されています。そして、藤原清衡が中尊寺を造った思い(2階建ての鐘楼を造り、20斤(12㎏)の鐘を一つ吊るし、鐘を鳴らすとどこまでも響き渡り、敵も味方もあまねく皆平等で、全員を供養したい)が書かれた古文書があります。

・金色堂(堂内は写真撮影禁止)

清衡・基衡・秀衡・泰衡4人の遺体が眠っていて、お墓でもある。生前殺生しているので、死後生まれ変わる輪廻の六つの世界から救済するために6体の地蔵が墓の後ろに配してあります。

約5.5m四方の大きさの金色堂は、1124年に藤原清衡によって建立され、壁・床・軒先まで金色に輝いています。

・中尊寺経蔵

讃衛蔵に納められている金字・銀字で書かれた紺紙金銀字交書一切経は、もともとこの中にありました。10人の僧侶が8年かかって5300巻書き上げました。素晴らしいとうわさを聞いた豊臣秀吉が伊達政宗に依頼して、5000巻差し出してもらい、母親が眠る高野山金剛峰寺にうち4296巻が奉納され保管されています。現在、中尊寺経として国宝に指定されています。

・金色堂覆堂

この覆堂は16世紀のものと見なされ、昭和38(1963)年に新しい覆堂建築に伴い、この場所に移転されました。最初の覆堂は、金色堂が建てられた数十年後には造られました。

・能舞台

中尊寺内には、重要文化財である白山神社能舞台があります。8月14日夕方、周囲の篝火が焚かれる中、狂言や能が披露される中尊寺薪能(たきぎのう)が開かれます。

峯薬師堂

・峯薬師堂

目によく効くという薬師堂になります。

・本堂

小説家で参議院議員だった今東光がここの住職でした。また、瀬戸内寂聴がここで得度しています。

・弁慶堂

1827年建立で、古くは愛宕堂と称していましたが、義経・弁慶の木造を安置し、明治時代以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。弁慶像は七つ道具を背負っています。

参道の途中から東方面に開けているところがあり、束稲山が見えます。桜の咲く時期には、中腹に桜が咲いているのが分かります。平安時代末期には西行が都から訪れ、歌を詠んでいます。

「きゝもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かゝるべしとは」